Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

映写機に成れなかったステレオの哀愁

 彼が「そら」と言うと空が見え、彼が「ほし」と言うと星が見える。

そして私の頭のなかに、「ここは地球だ。」ということばが、生まれて初めて、わいてくる。

 

彼のフォルテには弾けるトランペットが、彼のピアニッシモにはむせびなくバイオリンが見える。

歓喜や哀愁というのを見たことはないけれど、歓喜の音や哀愁の声があるならこれなのだろう、と思う。

 

音に反応しているのか、ことばに反応しているのか、その両方なのかわからないまま、

彼が泣いてもいないのに私が泣き、彼が笑ってもいないのに私が笑う。

なくしたものや感謝したいものが、ざわあっと目の裏に一気に集まってきて、その渦が感じたことのない感触で感情を押し出す。

 

ああそうか。彼からは「成れないもの」の音が鳴っているんだ。

永遠に在れないもの、ずっとつながっていられないもの、こうありたかったもの、もの、もの、もの、そして、ガラクタな、僕。

そんな彼がガラクタな私や観客をみんな美しい音の糸で紡いでしまって、そのとき空間が一瞬だけ「完全」になる。

 

 

 

そんなふうに私のからだの中に信じられないくらいの莫大で鮮明なカラーの映像を遺しておいて、

それなのに彼本人は、だれかに聞かせるのではなく、ただただ、そこにいて歌っている。

歌っているだけ。

そしていわば、いやあ僕は歌が好きで、好きでね。という演説を、私は2時間ずっと聞いていたんだなと気付かされる。

そのときの、感情は。

 

 

うまれたての赤ちゃんを、抱き上げるときのような。

嘘やけがれを知らない少年の手を、引き寄せて抱き締めるような。

あれはなんというのだろう。神秘のような、感謝のような、畏怖のような想いで、とにかく、笑みが。

笑みが、止まらないのです。

 

 

 

 

 

 

すごい体験だったのであの感情を残さないわけにいかないと思った。

 

という、玉置浩二さんとオーケストラの共演コンサートの感想でした。あーもう絶対また行くわー。

KOJI TAMAKI PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 THE GRAND RENAISSANCE -CURTAIN CALL-

 

さよなら仙ちゃん

仙ちゃんが亡くなった。

 

 

私は仙ちゃんの娘でもおかしくない歳だと思うけど、大学の頃から仙ちゃんのことが大好きで、許されるなら付き合いたい人のうちの一人だった。

 

 

何がそんなに好きだったか、亡くなってからたくさん考えてみた。

そしてわかった。仙ちゃんは私にとって、「失われてく昭和男」の象徴だったんだなと。

 

 

 

ベッキーが、不倫のみそぎだってキック食らったのが大問題になる今。

#metooって反パワハラの社会現象が起きる今。

仙ちゃんの中日、阪神時代の鉄拳教育なんて絶対受け入れられないんだろう。

若い女の子がテレビで、仙ちゃんが怒って人やものをぶん殴るVTR を見て「私たちの世代ではこれはちょっと怖いなって思ってしまうんですけれどもー(笑)」などと言っていた。

 

 

 

違うんだよ、と私は思った。

昭和には、こんな美学もあったんだよ。

「怖いけど、尊敬してるし、大好きだ」という不思議な人が存在したんだよ。

愛情がなければ、あんなに本気で怒れない、というパラドックスを理解できる風土があったんだよ。

それが、父性の象徴であり、かっこいい男のひとつの形だったんだよ。

 

 

 

かくいう私自身、今も昔もへなちょこ人間で。

怒られるのは怖いし、怒られるとすぐ凹んで立ち直れない。だから、人にもそんなに怒れない。怖くしない。

だけど、ことその相手を愛しているとき、私はそれを逃げだと感じていた。愛する人との真っ正面からの付き合いを避けて自分も相手も騙している気持ちをいつもぬぐえなかった。

そんな弱さとずるさを私は昔自分勝手に「女性」に仕分けていて、「男性」にはその逆を求めた。

恐れない。自力で立ち上がる。人にも怒るし、怖い。ただ、その怖さは、何からも逃げずに、真っ向から人と向き合う結果で。相手を本気で見て、本気で愛してるから、怒る。もちろんときに、とびきりの本気の愛情表現も、交えて。

そういう人に憧れた。

 

 

 

仙ちゃんはまさに私にとってそういう「男性」のロールモデルで。

追悼番組で元中日、阪神の選手たちが「こてんぱんに殴られた」というエピソードとともに「だけど、男も惚れる男だった」と表現をしているのを見ていて、ああそうだと思った。私はまっすぐな仙ちゃんが好きで、そしてその仙ちゃんからも逃げずに、惚れると言えるような男性たちが、彼らの本気同士の生き方が、羨ましかったんだなあと。

 

 

 

そういう時代が紛れもなくあった。

今は良くも悪くも間違いなく違う。もしかしたら、私も変わった。優しい人が好きだし、優しい人ばかりに囲まれて生きてる。

 

 

 

 

だけど仙ちゃん、あなたが死んでしまって悲しいし、私はやっぱり、あなたが今も大好きだなあって思います。

いつまでも、あなたみたいな人もやっぱり素敵だよねって言える世界であってほしい。

それでも、PTAをやってよかったと思う一つだけの理由。

PTA界隈、騒がしいですね。

 #PTAやめたの私だ ひとりの主婦の静かなる抵抗 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

 

私は、フルタイムで働いてます。

確かに学校のあまりのアナログさと無駄の多さと変化を嫌う体質には辟易とすることもあります。

だけど、私は、PTAをやってよかったと思いました。

 

 

 

理由は一個だけ。

我が子がめっちゃ、喜んだから。

 

 

 

イベントで、母が司会してゲームが盛り上がるのも。

引率で、母が先生のように生徒たちを従えて歩くのも。

ちょっとウケる制作物を作ってみんながわあと言うのも。

「○○のとこのママはパソコンできてすごいね」と他のママに言われるのも。

 

 

 

 

我が子はとても、誇らしげでした。

 

 

 

 

仕事でそこそこのプロジェクトを動かしてた時期で、

子供にもどんな仕事してるの?ときかれてその話をすることもありましたが、

だけどもそんなことよりきっと、我が子は、PTAのママのほうが、自慢だったんだと思います。

 

 

 

運用面でいうと、

4月に役員に決まった時点で、「私平日とかオフラインで自由がきかないぶん、休日オンラインでがんばります!!」と、同学年のほかの役員の皆さんにお伝えしました。

そしてその場で、みんなにgmailのアカウントを作ってもらって、行事の出欠とか制作物などの資料作りは私が担当して、クラウド管理するようにしました。

ラインでグループ作って、制作の指示を受けて、資料作ったらURLはって共有して、分かる人には共同編集のやり方も教えました。

プリントアウトと、学校への受け渡しは、違うママが担当してくれました。

確かに皆さん、ITリテラシー低いかもしれませんが、便利だね!すごいね!と重宝がってくれましたし、オフラインで時間とれずあまり活躍できない私の活躍の場があって逆にありがたかったです。

 

 

 

 

IT化遅すぎ、

だからやらないというのも、

忙しくて平日参加できない、

だからやらないというのも、

私はもったいないと思いますよ。

逆にまだそういう環境だからこそ、

働くお母さんでも、ITフル活用して活躍できる余地があるんじゃないかと私は感じました。上記のレベルのIT知識で感動してもらえる経験もほんと貴重ですしね。

 

 

 

みんなのためとか学校のためじゃなくて、

自分の子供が喜んでくれるために、なんでもいいからやれることを一生懸命やればいいんじゃないでしょうか?

その一生懸命さに気付いて子供は、きっと喜んでくれると思います。

その子供の誇らしそうな顔を見て結局、自分が得します。

 

 

 

 

私は、PTAやってよかったと思ってますよ。

一度でいいから、やってみることをオススメします。保証はしませんけど。

長谷川豊の理論の延長で、日本でもたぶんテロとか起こる。

www.j-cast.com

 

これみて、ああ、長谷川さんこそ、「ありのままのシャルリー」族だなあと思った。

 

joshi.hateblo.jp

 

「議論になるなら、何を言ってもいい。少しくらいの喧嘩の売り飛ばしも上等。」

という理論は、性善説に基づきすぎている。人間はそんなに神さまじゃないし、傷つきやすい。

人だっている。

 

 

「著者の真意をちゃんと読み取れない方が悪い」という態度ほど無責任なものはない。

言葉はさして万人共通、万能ではないし、言葉の繊細さとシニフィエの絶妙な個体差はたぶん彼の想像以上だ。

と、思う人だっている。

 

 

この「人だっている」の、想定の範囲が彼らは狭すぎる。

端的にいえば「多様性」をみくびりすぎている、ということなんだと思うが、

 「誰もがみんな、自分の言うことを正しく理解し読み解き、議論のテーブルに正座してついてくれる」

ほど、いまの世の中は未熟じゃないし、一元的でもない。

成熟して混濁した文化文明にあって、彼の「読み取れない方がおかしい」理論はすごく時代遅れで回顧主義的に見える。もうそんな時代はとうに終わってる。

と思う人だっている。

 

 

絵だって文章だって一緒。

長谷川さんとシャルリーエブドは一緒。

「これは私のことだ」と少しでも感じてしまった人たちにむけて、銃口を向けている、という視点で一緒。

長谷川さんの持論は「ぼくの弾はビービー弾だ」と言っているようなもの。問題は、それが実弾かビービー弾かではない。中身がわからないままの銃口を向けられる恐怖は、「その銃から花がでて安堵の笑顔が咲く手品」でないかぎり、誰も味わうべきではない。

と思う人だっている。

 

 

 

 

 こうなっていくのが嫌だった。

シャルリーエブドの事件からずっと、こうなるのが嫌だった。

長谷川さんみたいな人が増えるときっとそのうち、

日本でもフランスみたいに、本能で反発を抑えきれない人たちが言葉の次の暴力を選ぶ日がくる。

 

 

 

 

 

この波を止めたい。

殺したいといったり死ねといったり嘘の銃を向けたり誰かの信じるものを冒涜することでではなくて、

「私はその考えは嫌いだ。だけどそう思う人がいるのはわかる」

といつも言っていられる、「文明人」でいたい。

マギー四郎さながら銃から花を出し、石川五エ門さながら無益な殺生をせず、歌丸さんさながら「バカだねぇ」といって笑っていたい。

 

 

 

 

 

そう思いながらも、仕事で嫌いな人相手に嫌な想いをした帰り道。

「死ね!」という私の小さなつぶやきが、誰もいない夜の空気にしんと溶け入るのでした。

未熟だな。

 

でも長谷川さん、そんな私もあなたのことは、嫌いだよ。

好きではないだけで、存在してくれてかまわない。殺さないよ。

自分の子供を「息子氏」「ベビたん」と呼ぶやつとは絶対仲良くなれない。

Facebookでやたら見かける「息子氏」に腹が立って仕方ない。

身内に尊敬の「氏」つけるとかありえんでしょ?「父氏」て言うんか?お前は?
さらには息子の「たん」づけ。「あたし、言えないけど息子をアイドル並みに溺愛してます!」に聞こえるんだけど、正解?ひいては「ベビたん」てなに?絶対バックにこっそり子供の名前書いた蛍光ウチワ持ってるよね?

いや、いい。そう呼んでくれてもいっこうにかまわない。
けど、きっとあなたと仲良くはなれない。仲良くなりたくはない。少なくとも私の語感センサーが勝手にそう受け取ってしまう。

同様に嫁、妻を「奥さん」と呼ぶ男も、
夫を「オット氏」と呼ぶ女も嫌いだ。
正しくないからだ。正しい由緒ある日本語をねじまげてでも自分はこの人に対してこんな絶妙な愛すべき感覚だみたいなどうでもいい自己顕示欲丸出しの自己主張をこっそりしてくるその一瞬の単語選びがマジでセンスなくて嫌いだ。

先祖代々てめえのその薄っぺらい感覚で言い表された程度の愛情なんぞとっくのとうにどの人類もそれはそれは美しい形容詞で言い表して来てるに違いないのだよ。
そんなにだだもれたいほどの愛情と尊敬を身内に示したいならせめて正しい呼称に麗しい形容詞を添えて頂ければいい。たとえば

愛すべき息子
敬愛する妻
大好きな夫

でいい。
謙遜してんだか尊敬してんだか寵愛してんだかわけわからんごちゃまぜな正しくない日本語で愛情をだだもれさせようとするめんどくさい遠回しなノロケほどダサいもんはない。とにかくダサくてキモいのだ。嫌いだ。嫌いなのだ。



勝手に想像するに、あの気持ち悪い呼称が蔓延してしまった現象は日本人が愛情を表現する能力が極めて低いからだと思う。
ガイジンなんて平気で
My loving son
My dear wife
My beloved husband
とか、愛する、愛する、愛するってもう普通に空気を吸うように言ってしまう。
それに比べて日本人は愛する、大好きな、などとはおいそれと言えない文化をはぐくんできたがゆえに、
(いやそれ自体は奥ゆかしさという素晴らしい文化なのだが、その反面、)
あいつらのように。正しい謙譲の呼称にひっそりと「愛」を潜ませるやつらがうじゃうじゃ出て来てしまったのだと思う。


 


いやいやいやいや
あなたのその愛情表現奥ゆかしさのレベル越えてっから!
見せブラはエロいけど、あんたのやつはワカメちゃんのはみ出しパンツくらい見え見えでダサいから!
あー例えが奥ゆかしくなくてごめんね!!!





とにかく、私は嫌いです。
いつも投稿、うえっ。て思ってみてます。

#nomorewar and #nomoredisaster in #japan。

しごとでいろんなキャンペーンのことを考えるようになって、ふと我に返った。

 
 
 
うっわ、どうしよ、
くっそ、
どーでもいい。
 
 
 
 
ターゲットは女?何歳?子持ち?
その人たちになにしてもらうの?
どうやってバズらすの?
それによって私たちはどんな利益を得るの?
その次は何を狙うの?
 
 
 
 
うわああ、
ほんと、やばい、
どーでもいい。
 
 
 
 
しょうがないんだよ、私みたいな出来ない子には時々来るんだ、
セグメントした一部の誰かのために、
お金の使い道を考えて、
つまり、それにかまけてそれ以外の人のための幸せを考える必要が無くなるときの、
この、空虚な感覚。
 
 
 
つまり、
なんかよく顔も見えない、
F1だかF2だかって意味不明の上顧客のために、
悩んで悩んで、頑張って、
 
いつ自分の上にミサイル落っこってきたり、
電車の隣の人が自爆テロしたり、
家族が刺されたり、
子供が津波にのまれたり、
 
するかもしれない、
少なくともないと断言はできない、
そんな世の中で、もし明日それらが起こったら、
 
そのとき私は、後悔せずにいられるだろうか?
ということ。
 
 
人間みんなが憎みあわないような世界を作ることを早々に諦めて、
顔の見えない、F子さんたちのためだけに頑張ってた毎日を。
こっちに向けられてるたくさんの憎しみの視線を無視して、
にこやかに笑ってお金をくれるF子さんたちだけに迎合してた毎日を。
 
 
 
 
 
 
ああ、どうでもいい。F子、おまえは、どうでもいい。
地球がやばい。世界がやばい。
F子。すまんが、どうでもいいぞ。
 
 
 
 
 
会議中に止まらなくなる。そうなるとしばらく戻ってこれない。
まったく違うキャンペーンの妄想が始まる。(件名。)
 
 
 
 
 
 
私はこの仕事がむいてない。
というかそもそも、仕事がむいてない。

 

トカトントン

トカトントン

 

 

こういうの見ると女子がやっぱり、怖いよね。

 
 
 これによると
・20代の子が「専業主婦だっていいよね?」と言っているのを、年を取るにつれ顕著におばさんたちが「何考えてんのばっかじゃないの(仮)」と言っている。(その割合は全年代で男性より多い)
・「仕事好き」という女子の半分が「専業主婦?だっせ(仮)」と言っている。
 
 
 
あーやっぱ女子は怖いよー
「私は時代の流れにのっている」と思いながら働いてんのかな?ランチで「専業主婦、ないよねー」とかいってんのかな?
ちょーこわい。ほっとけよー。 
 
 
 
 
 
 
私は、
将来、専業主婦になろうが働く女性になろうが『好きだからこっちにした』と選べるようになればいい、と思いながらも、今は働いてる。
どっちだっていいはずだよ。どっちかがかっこよくてどっちかが時代遅れなんてあってはいけないと思うよ、何事も。
たとえばデジタルカメラしかない世の中でフィルム使ってたっていいし、子ども生むのが善みたいな世の中だけどわけあって生まない選択したって何が悪いのかわかんない。
遅れてるんじゃなくて、それは選択であるべきで、遅れてると言ってしまうこと自体がすごく自己中だ。
集合体の選択の連鎖で運命は決まってる。だれかが操作しなくたって、滅びるものは滅びるし、生き残るものは生き残る。
 
 
 
 
 
だから、ほっといてほしいし、ほっといてあげてほしい。
陰口好きの井戸端会議のおばちゃんは別に世界変えんと思うわ。