Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

人の時間を一秒だって無駄にしたくない

とにかく嫌い。嫌い嫌い嫌い。

誰だかわからん人たちの前での講演も、発言しない人が多すぎる会議での発言も、メールの宛先がめちゃめちゃ多いスレッドも、死ぬほど嫌い。

 

 

たとえば私だけのコンサートがあったとして、そこで話すなら、全然苦じゃない。なぜなら、みんなが、確実に、私の話を楽しみにしてくれてるはずだから。

 

 

だけど、

あー俺には関係ねーなー って思いながら私の話聞いてる人の時間を無駄にしてるなあと横目で気にしながら話さなきゃいけない会議ってさ。

俺には関係ないのに未読になってどんどん積もってくスレッドうぜえなあ って思われながらも開封だけはさせる手間を取らせるメールってさ。

あーはやくあの人の話聞きたいのに誰だよこいつ って思われながらその人の時間を無駄にするプレゼンってさ。

 

 

 

意味を見いだせなすぎてまじで嫌い。嫌いすぎて病む。

人に時間を無駄にしてほしくないという気持ちが(たぶん)人一倍強すぎて辛い。

とはいえ知っといた方がいいから話す範囲は広いほうがいい、ってどうしても考えられなくて、というかもはやこれ信条としかいえなくて、それを曲げざるを得ないことが多い最近の環境は最悪だ。

 

 

 

 

 

 

AIに何をしてほしいって、ここ解決してほしい。

もしかしてこれいります?

じゃなくて、

もしかしてこれいりませんよね?

の方の気を利かせて、関係ないとおぼしき話題を読まないでも聞かないでもよくなるようにしてほしい。関係あるときだけアラートを出してほしい。

 

 

 

私みたいな病、ないもんだろうか。

私だけ?これ?

それでも、PTAをやってよかったと思う一つだけの理由。

PTA界隈、騒がしいですね。

 #PTAやめたの私だ ひとりの主婦の静かなる抵抗 (BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース

 

私は、フルタイムで働いてます。

確かに学校のあまりのアナログさと無駄の多さと変化を嫌う体質には辟易とすることもあります。

だけど、私は、PTAをやってよかったと思いました。

 

 

 

理由は一個だけ。

我が子がめっちゃ、喜んだから。

 

 

 

イベントで、母が司会してゲームが盛り上がるのも。

引率で、母が先生のように生徒たちを従えて歩くのも。

ちょっとウケる制作物を作ってみんながわあと言うのも。

「○○のとこのママはパソコンできてすごいね」と他のママに言われるのも。

 

 

 

 

我が子はとても、誇らしげでした。

 

 

 

 

仕事でそこそこのプロジェクトを動かしてた時期で、

子供にもどんな仕事してるの?ときかれてその話をすることもありましたが、

だけどもそんなことよりきっと、我が子は、PTAのママのほうが、自慢だったんだと思います。

 

 

 

運用面でいうと、

4月に役員に決まった時点で、「私平日とかオフラインで自由がきかないぶん、休日オンラインでがんばります!!」と、同学年のほかの役員の皆さんにお伝えしました。

そしてその場で、みんなにgmailのアカウントを作ってもらって、行事の出欠とか制作物などの資料作りは私が担当して、クラウド管理するようにしました。

ラインでグループ作って、制作の指示を受けて、資料作ったらURLはって共有して、分かる人には共同編集のやり方も教えました。

プリントアウトと、学校への受け渡しは、違うママが担当してくれました。

確かに皆さん、ITリテラシー低いかもしれませんが、便利だね!すごいね!と重宝がってくれましたし、オフラインで時間とれずあまり活躍できない私の活躍の場があって逆にありがたかったです。

 

 

 

 

IT化遅すぎ、

だからやらないというのも、

忙しくて平日参加できない、

だからやらないというのも、

私はもったいないと思いますよ。

逆にまだそういう環境だからこそ、

働くお母さんでも、ITフル活用して活躍できる余地があるんじゃないかと私は感じました。上記のレベルのIT知識で感動してもらえる経験もほんと貴重ですしね。

 

 

 

みんなのためとか学校のためじゃなくて、

自分の子供が喜んでくれるために、なんでもいいからやれることを一生懸命やればいいんじゃないでしょうか?

その一生懸命さに気付いて子供は、きっと喜んでくれると思います。

その子供の誇らしそうな顔を見て結局、自分が得します。

 

 

 

 

私は、PTAやってよかったと思ってますよ。

一度でいいから、やってみることをオススメします。保証はしませんけど。

改札で目の前の人がエラーを出したときの「おばさん」の判断

いま、目の前で、30代くらいの女の人が自動改札にひっかかった。

その理由は、その前の男の人が、エラーで閉まったゲートをすり抜けていったからだ。

 

 

 

女の人はさんで後ろにいた私はとっさに、男の人のタッチミスかなと思った。それで隣の改札を通ることにした。するとその女の人が何回か同じ改札(すでにエラーで赤くなっている)でタッチを試したあげく開かず、「えー」と大きな声をあげた。そして「ちょっとすみません!」と、すり抜けた男の人に呼び掛けた。「私ので通りましたよね?」と。

 

 

 

 

うわあ。と思った。すごい思考回路。と。

まず、すりぬけた男の人をよびとめる。そしてその理由は、「ほぼ同じタイミングで後ろでタッチした自分のスイカの金で入ったんじゃねーの」。

 

 

 

 

そのとき自分ならどうするか、考えても、「男の人に声をかける」ということは思い付きもしなかった。

私なら、なにはともあれ青いランプの、通れる改札を通る。

もし男の人の方で入場カウントされててダブルで徴集されてたら、そこでもエラーが出て通れないはずだ。そのときは、駅員さんに事情を話してスイカを処理してもらえばいい。

通れたとしたら、ダブルでカウントはされてないということだ。なにも問題はない。

 

 

 

つまり私は、自分が「目的地に目的時間につく」以外に電車にのる理由はない。それがかなうんであれば、べつに誰かかが無賃乗車してようがどうでもいいし、万が一何百円か他人の分としてとられていたとしても、テクノロジーはそんなにアホじゃないんだから、取り戻す方法は「直接示談」以外に効率のいい時間のかからない方法がある。

 

 

 

 

あそこで男の人に声をかけるというのはどういう心理なのだろう。

あの短いとっさの判断で、テクノロジーの進化に思いを巡らせられなかった、あるいは知らなかった思いもしなかった、ということなのだろうか。おばあちゃんならわかるがあの歳の女の人で?海外から観光で来た人ならわかるが朝の通勤時間スイカ持って乗ろうとしてる人で?

それに仮に二重徴集だとしたって、処理をしてくれる話しかけるべき人は駅員さんだとわからないものだろうか。男の人は呼び止められたってなにもしてくれない。

それか、感情的に、自分の目の前でバコンと扉を閉めておいて平然とすりぬけていき、あたかも自分が悪者のように仕立てあげた張本人が許せないということなのだろうか。

 

 

 

 

 

あーーー

嫌いだわー。

あいつ嫌いだわーーー。

 

 

 

 

ああいうのがいるから、おばさん、て言われんだよ。

ああいうのがいるから、怨恨、嫉妬、屈辱とかいう言葉がいっぱい必要なんだよ。

ああいうのがいるから、裁判はながびくんだよ。

ああいうのがいるから、無駄な税金がそれに使われてくんだよ。

ああいうのがいっぱいいるから、韓国はもめてんだよ。知らんけど。

なんなら、ああいうのがいなくならないから、戦争もなくならないんだよ。知らんけど。多分。

 

 

 

 

そもそも、

あなたはなにを解決したいんだ?

あなたはなにを目的に改札を通ろうとしてんだ?

あなたは、なにを、目的に生きてんだよ?????

 

 

 

 

あああああああまじで嫌いだわーーーー。

 

と、本人には声をかけず、インターネットというテクノロジーで叫ぶ。

これも効率化と平和への道です。

「働き方改革」がダサいから。

政府が「担当」までつけて働き方改革に臨んでいることに違和感を覚えているのは私だけなのだろうか。

「女性活躍」もそうだ。どちらも、発展した資本主義自由主義において、「そんなこともできない会社は自然に淘汰されるべき」なはずなのに、そこに政府が介入しなければならないなんて、なんて日本は幼くて未熟なんだろう。

その「改革」が間に合ってないと思えるニュースを聞くたびに情けないし、悲しい気分になる。

www.sankei.com

 

 

 

私はもしも政府がなにかしなければならないとしたら、金曜は早く帰れとか基本残業禁止とか細々決めておさえつけることではないと思っている。なんだそれ過保護なモンスターペアレンツかよと。それでは誤魔化す「不良息子」だってでてくるし、言い訳だって逃げ道だって作り放題だということは容易に想像がつく。

そうならないためには、道は「社会に自浄機能をつけさせて自然淘汰させる」ことに他ならないと思う。つまり、時代錯誤に女性蔑視してる企業も、長時間労働しまくってる企業も、ぶっつぶれてしまえばいいんだと思う。

そのためにすべきことはひとつだけ。「働く個人の『職の選択』をもっと自由にする」、つまり、働く人の側にもっと働き方を選ぶ主導権を握らせることだ。

インターンで5社を義務づける

・転職回数を経験値とし、転職が多いことを普通のことにする

・兼業も副業もかけもちも普通のことにする

・労基署とかいうただの火消し機関はつぶして、各社内事情をもっとオープンにするネットのプラットフォームをつくる

国がやっても団体がやってもやり方は様々だろうが、とにかく働く人にもっと選択肢を与えるための土台を作る。そして「イケてない企業」には社員が集まらなくなりさっさと消えてもらう。

 

企業は子供と一緒なんじゃないか。痛い目みないとわからないし変わらない。痛い目を見せるには、その企業の細胞(社員)が怪我したり病気したり、物理的にごそっとなくなったりしなきゃならない。それには、「感染」が不可欠だ。「出られない、動けない、この個体以外知らない」細胞が、自らの異常になんて気づけるはずがない。そうしていくうちに日本全体が病んでいくんだ。

 

 

 

 

国のやってることは結局企業目線で企業の過保護な施策ばっかりだ。なぜならそれはきっと、私が言ってるような自然淘汰をつきつめていけば、日本企業なんかほぼ全滅、ぶっつぶれるってわかってるからだ。(一般的な)外資の働きやすさや「ハラスメントが無いことが普通」な環境なんて、(ほとんどの一般的な)日本企業がかなうはずないからだ。

 

 

 

で、私が働く人個人に問いたいこと。

「あなたは、あなたの人生のために働いているんですか?それとも、日本のために働いているですか?」

 

後者なら、私は今の「働き方改革」を否定しない。日本の企業、日本の国益を守るのが目的なら、全力で応援すべきなんだろう。

だけど前者なら。そしてなにかが違うと感じているのなら。

時代遅れな政策に期待してる場合じゃない。取り敢えず、転職すべきだ。外資系もいくつかあたってみるべきだ。何が違うかは、「感染」してみればわかる。

 

 

 

究極、「転職をおそれるな」というムードをつくること。それができるなら働き方改革に国の力なんて必要ない。つまり、「さっさと辞める」個人をカッコ良くする。それをスタンダードにするのだ。

 

 

 

 

 

 

はい、と、いう、長い言い訳で、

私の履歴書の経歴はもうパンっパンで書く欄がなくなったのでありましたー!!!! 

 

ぬはははははははははは

 

 

 

※追記。結論に至る過程は全然違うけど結論は同じ記事。

jbpress.ismedia.jp

長谷川豊の理論の延長で、日本でもたぶんテロとか起こる。

www.j-cast.com

 

これみて、ああ、長谷川さんこそ、「ありのままのシャルリー」族だなあと思った。

 

joshi.hateblo.jp

 

「議論になるなら、何を言ってもいい。少しくらいの喧嘩の売り飛ばしも上等。」

という理論は、性善説に基づきすぎている。人間はそんなに神さまじゃないし、傷つきやすい。

人だっている。

 

 

「著者の真意をちゃんと読み取れない方が悪い」という態度ほど無責任なものはない。

言葉はさして万人共通、万能ではないし、言葉の繊細さとシニフィエの絶妙な個体差はたぶん彼の想像以上だ。

と、思う人だっている。

 

 

この「人だっている」の、想定の範囲が彼らは狭すぎる。

端的にいえば「多様性」をみくびりすぎている、ということなんだと思うが、

 「誰もがみんな、自分の言うことを正しく理解し読み解き、議論のテーブルに正座してついてくれる」

ほど、いまの世の中は未熟じゃないし、一元的でもない。

成熟して混濁した文化文明にあって、彼の「読み取れない方がおかしい」理論はすごく時代遅れで回顧主義的に見える。もうそんな時代はとうに終わってる。

と思う人だっている。

 

 

絵だって文章だって一緒。

長谷川さんとシャルリーエブドは一緒。

「これは私のことだ」と少しでも感じてしまった人たちにむけて、銃口を向けている、という視点で一緒。

長谷川さんの持論は「ぼくの弾はビービー弾だ」と言っているようなもの。問題は、それが実弾かビービー弾かではない。中身がわからないままの銃口を向けられる恐怖は、「その銃から花がでて安堵の笑顔が咲く手品」でないかぎり、誰も味わうべきではない。

と思う人だっている。

 

 

 

 

 こうなっていくのが嫌だった。

シャルリーエブドの事件からずっと、こうなるのが嫌だった。

長谷川さんみたいな人が増えるときっとそのうち、

日本でもフランスみたいに、本能で反発を抑えきれない人たちが言葉の次の暴力を選ぶ日がくる。

 

 

 

 

 

この波を止めたい。

殺したいといったり死ねといったり嘘の銃を向けたり誰かの信じるものを冒涜することでではなくて、

「私はその考えは嫌いだ。だけどそう思う人がいるのはわかる」

といつも言っていられる、「文明人」でいたい。

マギー四郎さながら銃から花を出し、石川五エ門さながら無益な殺生をせず、歌丸さんさながら「バカだねぇ」といって笑っていたい。

 

 

 

 

 

そう思いながらも、仕事で嫌いな人相手に嫌な想いをした帰り道。

「死ね!」という私の小さなつぶやきが、誰もいない夜の空気にしんと溶け入るのでした。

未熟だな。

 

でも長谷川さん、そんな私もあなたのことは、嫌いだよ。

好きではないだけで、存在してくれてかまわない。殺さないよ。

内輪ウケが嫌いすぎてときどき病みそう。

最近ストレスたまってるっぽくて不満連投中で更年期のおばさんみたいでやだけどでもやっぱりめげずに言っちゃう、



「内輪ウケ」が嫌いだよ!




「こんにちは!A 社広報部女子チームです!告知にきましたー!」
A社社員<わー(゜▽゜*)Bちゃんかわいー(゜▽゜*)
…ってしらねーよ!おまえだれだ!


派手な仮装で街中フラッシュモブキャンペーン。
関係者<やばいちょーウケるー(゜▽゜*)
…ってウケんわ!だれだよ!


えー弊社のシステムKY、既にご存じかもしれませんが…
関係者<うんうん(゜ー゜)(。_。)
…ってなんだよしらねーよ!そのアルファベットなに略だよそっからだろ!


記事<今回のイベント、今年も例年を上回る大成功のうちに幕を閉じました!
…ってそりゃそーだめっちゃ金かかってるやんけ。費用対効果どーなってんだ。



と。見てる側でも思うし、
その「内輪」に入る。となったら、ストレスでつぶれそうになる。
関係者がもりあがった、金かけてもりあがった、人めっちゃ使って盛り上がった、などなどを、「よかった」「すごかった」と評価するのはほんとに嫌いだよ。









話はそれるが、
そもそも私の職種は「おまけ」である自覚がある。
私自身が何かを根本的に産み出しているわけではない。
私はいつもただの媒介であり付け足しであり、本質ではない、つまり、「やった」とは本来言いがたい、言うとしても「いじった」レベル。
もしそんな私でも「やった」と思えるとしたら、それは本当に「やってる」人や、ありえないくらいたくさんの見知らぬ人が私の仕事を誇りに思ってくれたり、感謝してくれるときだと思う。




そんな職の価値観のせいもおおいにあると思う、
私にとって「成功」の定義は狭めで、いつも満たされないという欠陥もあるとおもう、
だからといってとにかくおなじような「おまけ」職種の人たちだけが集まって、内輪で「やったね!」ってやってる、
あれにとにかく、馴染めない。どころか、見てるだけでいやだ。それが本当に悩みだ。
「非おまけ」職種の人は概してつつましやかにウケてるのに、「おまけ」職種の人に限って盛大に内輪ウケがちで、それがどうしても、意味不明すぎる。






そんで内輪ウケってさ、
やるほうは強要してないつもりかもしれないけど、恐ろしいほどの同調圧力があんのね。
「ノリわる。はーん?さてはあなた、仕事やる気ないー?」
と、なまじ内輪ウケへのやる気と仕事のやる気がイコールだ、というようなあの暗黙のプレッシャー、あれは…まじでやめてほしい。



勝手に内輪ウケてもらって結構なんだけど、頼むから一緒にやろって呼ばないでほしい。
もしも断ったからって仕事までやる気ないポジションにしないでほしい。








がしかしこの悩み、とうの昔から絶えないんだよな…
おまけ職の性かな…
これたぶん神様「そろそろあきらめろ」って言ってるなきっと…

「志ある人」も「意識高い人」もやっぱりキツイという現実。

もう尽くされた議論かと思いますが、掘り起こしたい。


どーーーしても「志ある人」と「意識高い人」ということばが嫌い、
というか
「志ある人」と「意識高い人」と言うことばを使うその人が嫌い!



志あるか意識高いかを決めてるのは誰?基準なに?
自分だよね?自分であ、このひとは高い、このひとは低い。ってやる以外に、基準なんてないよね?



そういうなかであのあいまいなワードをさも一定基準がある公用語かのように「意識高い人が好き」「彼は志あるよね」と鮮やかに使うあの人もあの人も、独善的で自分中心にセカイを見ている人にしか見えない。同じ理由で「仕事できる」「頭いい」を良く言う人も嫌い。






高低も有り無しも出来る出来ないも良い悪いも「判断」する権利は私にはない、私には「意見」しかないので。


だから私はいつも「好き嫌い」としか言わないです。