Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

女はつつしめ論を助長するような記事に共感が集まる昨今と、ちゃんとトイレでうんこしよう論の私が向かう明るい未来。

やたらバズってたこの記事

銀座でホステスをした人間としての意見〜女子高校生、女子大学生の皆様へ|愛情料理研究家 土岐山協子の 『食べることは生きること』を発信するブログ
以下引用:

女性として一番残念なことは
自分の基準で職業や立場を貴と賤で分けてしまい
賤の人を排除しようとする器量の狭さを持ってしまうことです
女としては三流以下です

自分の意見と違う人を認めようとしない
安全地帯から人を批判する
嫉妬にかられて自分を見失い人を攻撃する

女性としてこんなに醜いことはありません
どうか、そのような紛い物にあなた自身がなりませんよう

真っ直ぐな道をお歩きください


これを読んだときの、えも言われぬ違和感を、考察してみる。

まずこれは、この方の言う「安全地帯から人を批判」しているんではなくて、「ご意見申し上げる」ことだという大前提ご理解いただきたい。
決してこの方を「賎」だと叩いてるわけじゃなくて、おっしゃってる意味はわかるし尊重もしますが、私は少々、意見、とくに、『表現』が違います。
そして、その「ご意見申し上げる」世界をとくに女性に絞って批判してしまいそうなこの文章こそ、問題がある、ということが言いたいのです。


続けます。




まずここ

女性として一番残念なことは
自分の基準で職業や立場を貴と賤で分けてしまい
賤の人を排除しようとする器量の狭さを持ってしまうことです
女としては三流以下です

女性としてこんなに醜いことはありません
どうか、そのような紛い物にあなた自身がなりませんよう

「女性として」「女として」ですが。
これ、どうしてなんでしょうか?男性でも、「貴賎の賎を排除しようとする」方がいたとしたら、それは三流以下の方では。
それを「女性だから」と論じる意図は何でしょうか?


背景にそこはかとなく漂う、
「女なら 貴賎も問わず つつみ込め」
的な。つつしめ。男とは違うのだから。な世界観。
それこそが私の感じた違和感です。


そもそも、私の持論ですが、
価値観はひとそれぞれですから、誰もが誰かを上にみたり、下にみたり、下にみた人に実は下にみられていたり、上にみた人にも実は上にみられていたり、同類にみたり、そういうことが存在すると思います。
その思惑が、仕事では、とか家庭では、とか資産では、とかジャンルごとに複雑にからみあって社会って成り立ってるもんだと思います。
それはもう、致し方ない。感じちゃうもんは感じちゃう。男も、女もです。
それを感じるなと言う方が難しいと思う。


私は「感じたこと=意見、を交換する」ことが健全だし、大事だと思う。
そうやって、エネルギーを交換しあって、化学反応をがしがし起こして、良くなったり、消化されたり、変わっていけばいいのだと思う。


これをね、思うに、とくに女子が、しないのですよ。

チャットで、会社の隣の女子の陰口を、こそこそ。
女子会で、来ていない女子のことを、こそこそ。
LINEのグループで、こそこそ。
こそこそ、こそこそ。
・・・



・・・・言えや。( ̄- ̄)
本人にも言やーええがな。


なんでそれをしないんでしょうね?



仕事の相手で、本音をぶつけるとビジネスがこじれるから言わない、などなどそうはいっても、な場合もあると思います。
私はそれはそれで、 ちゃんと相手に敬意を払った形で、帰って旦那や奥さんや気の置けない友だちにでも吐き出すってのもありだと思う。文章にして公のブログやSNSで発散するのもいいと思います。ただしちゃんと、コメント欄とか、他の意見を受け付けられるような形で。
そうやって吐き出したら、意見を聞くうちに意外と自分が行きすぎてるって気づいたりして、
次の日はすっきりと、相手と向き合ってよいビジネスなりなんなりの関係に戻れると思うのです。



その他の場合は多分、「こわい」「めんどくさい」んだと思います。
言いたいことはあるけど、言って反論されるのも、こわいしめんどくさい。

でも、その「めんどくささ」はほんとに些細な言い方の違いで避けられるはず。

「株で儲かってるからって仕事サボってヤクやってんじゃどーしよーもねー人間以下じゃシネクソボケェ」
っていうか。
「お金に困ってないのはわかるけど、その生活は体が心配だよ」
っていうか。



ほんとたったそれだけのことなのに、「言わない」で、いることは、
うんこを我慢することくらい、体に悪いと思う。
まして、本人に言わないで、汚い言葉で陰でグルチャとかしたしまいには、
トイレが見つからないでこっそりそのへんで野グソしてるようなもんだと私は思う。
だれがそのクソ処理すんだって話。



ちゃんとトイレでうんこしましょうよ。女性のみなさん。
=しかるべきところでしかるべき方法で自分の感じた素直な感情を放出して処理されるべきですよ
って、私は思ってるわけなんですが、


やっと戻ってきて、この引用元の方の

自分の意見と違う人を認めようとしない
安全地帯から人を批判する
嫉妬にかられて自分を見失い人を攻撃する

この指摘。

私はちょっと「何がいかんのか!?」と思ったですよ。


自分の意見と違う人を認めようとしない
→意見の違う人を認めることができるならその時点で意見はある程度同じってこと。大事なのはお互いの意見の違いを認識したうえで、今後お互いが変わる可能性を含めてお互いを尊重しながら議論しましょうという姿勢では。


安全地帯から人を批判する
→「批判」が「蔑み」「脅迫」にならないように、シネとかバカとかアリエナイとか、相手を蔑むようなワードは禁物。だけど「批判」は「意見」で、意見を言ってはいけないということでは物事が良くなるチャンスもなくしちゃう。
実際この方、コメント欄を閉じてるみたいです。「蔑み」があったかはわかりませんが、「意見」をシャットアウトしてしまうのは、私はそれこそ安全地帯に逃げちゃうやり方だと思います。


嫉妬にかられて自分を見失い人を攻撃する
→「攻撃」はアカンね。シネバカアリエナイとか、暴力とかね。繰り返しになるけどそうではない意見なのであれば、たとえ発端が嫉妬だとしても、言うべきですよ。





何が言いたいかってーと


オンナよ。恥ずることなく、感じたままに言いなはれ。
(ただし、ちゃんと相手に敬意を払おうね)


ってことです。

だからこそ私は、「女子」(かぎかっこ女子、で、「THE JOSHI」 と読む。イカニモな女子という意味)が「嫌い」だと、宣言してみている。
もしこれに関して「ご意見」があれば、いつでもどうぞ。



この方の記事がとても多くの方の共感を呼んでいて、とても考えさせられたことは、「やっぱりこういう、女はつつしんで広い心でうけとめて的な女性像が、大多数に求められれているんだなあ」ということ。


「ちゃんとトイレでうんこしよう」とか言ってる私みたいなのは、だからモテないんだよなあと思いつつも、私は私の流儀で、今日もちゃんとここにうんこしておきます。(コメント欄開いてますって意味です)