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Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

「苦手」と「嫌い」と「憎い」と「嫉妬」と「どうでもいい」。そして。

#私はこんな女子が嫌いです
のおかげで考えた。
こんなどうしようもないタグだったけど、
折も折だし、いろいろ考えた。 
 
 
今の少々平和ボケ気味な私達に必要なのは、
何に殺意を抱き、
何が憎くて、
何が嫌いで、
何に嫉妬していて、
何が苦手で、
何に無関心なのかを、
きちんと、感情をもう一度整理して、
言葉にして、
研ぎ澄ます必要があるんじゃないかということ。とくに、
憎い(憎悪)と嫌いの境界線に敏感になったほうがいいんじゃないかということ。
 

 

 

f:id:Ichi-Jiku:20150203112021p:plain

 
 
 
まず多くの方が書いていた、苦手と嫌いの違い、についてですが
これは私も、二つの全く別の感情だと思っています。
  
 
 
仲良くできるのが理想だとは理解してるけど、
自分のキャパの問題で、仲良くできない(ですみません残念です、的な謙遜の感覚もやや入る)。
それが、「女子(特定の)」が苦手
 
仲良くしたほうがいい、という前提がないから仲良くする必要もない。
「能力」が欠如してるとも思わない。ただ、感性で、合わない(のですが問題ないですよね?っていう感覚もやや入る)。
そういう私は、「女子(特定の)」が嫌い
 
 
 
 
 
こういうことを言っていてややこしいのは、上の図のように
「嫌い」のなかに、「憎悪」や「嫉妬」の感情が入ってくる場合があることだと気付かされました。
そしてさらに、「どうでもいい」というややこしい感情もあることも。
 
 
 
 
憎悪→いなくなってほしい。不幸せになってほしい。なんなら最終形態、殺す。
嫉妬→うらやましい。好きでもありうるし、嫌いでも深層心理でありうる。こじらすと最終形態、殺す。
どうでもいい→無。無関心。危害が全く及ばない場合か、及んでもへっちゃらなので構わないという場合。あるいは、ときに、無責任。
 
 
 
 
こうすると、純粋に残る「嫌い」(中央グレーの部分)、っていうのは
 
感性が受け付けないが、そのヒトモノコトがこちらに損害を与えず幸せに存在してくれるのならそれはそれでまったく構わない(うらやましくもない)
 
ということだと、私は勝手に定義しています。
どうでもいい、と似ているように見えますが、「関心はある」、という点でまったく異なると思っています。
長いから、いったんこのエリアを「嫌いげ」としておく。(手抜き)
 
 
 
 
 
 
 

憎悪をあらわに「日本人のおまえたち全員が殺すターゲットだ」と言われる、
じゃあ自分は、自分たちは、
殺意をもっているのか、
それは何で、あるいは誰で、
憎いのは何で、誰で、
嫌いげなのは、何で、誰で、
嫉妬しているのは誰なのか、
それとも
こんなに世の中に蔓延しつつあるあらゆる嫌悪感のなかで、
全くの無関心でいることができるのか。
  
 
好き愛してる萌え推しヲタキュン溺愛とか
好意を研ぎ澄ますなら、
嫌悪についても
一人一人がもう少し真剣に考えなくてはいけないのではと。
あんなくだらないタグからですが、
そんなことを悶々と考えています。 
 
 
 
 
 
 
 
 
#私はこんな女子が嫌いです の対象も「嫌いげ」のつもりだった。#私はこんな女子が嫌いです にしようかなあ。ていうかこのブログのタイトルも変えなあかんやんけどーしよ。
投稿してくださった皆様、考える機会をありがとうございました。


タイトル変えた。(2015/2/4)