Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

物や言葉が生きてるんじゃないかと思う話。

私、基本的に映画や音楽で泣いたり、かなりいわゆる「激しい」タイプだと思いますが、

 
映画の登場人物でなくても、
モノ や 言葉 にも、共感して、泣いたり怒ったりしがちであります。
 
 
 
モノ でいうと例えば、
ずーーーっと使ってきたラジカセが、なんかだんだん、瀕死のかすれた音しか出さなくなって、
悲しくて、抱きついて、泣いたこともあるし、←20代でした
 
つい、先日は
2年使ったスマホを買い換えたのですが、
MNPの手続きが終わって、電波表示が消えてしまった、ボロボロの、2年連れ添った相棒を右手に、
ありがとうねえ、と声をかけたら、涙が出そうになったし、
 
 
 
 
言葉でいうと例えば、
最近、「共有する」ことを「展開する」って言う人がいるけど、
「展開」は「共有」より変化を伴うことだろうに、
変化を求めない「共有」にも変化しないことに使われる「展開」にも失礼だ、と
怒りを覚えるし、
 
美しい詞や歌詞で、
ふつうその言葉がいつも居座るような定位置ではないところで
まるで新しい居場所を見つけて輝いているように見えるとき、
その言葉の幸せを思って、
泣けてきたりします。
 
 
 
 
 
 
 
原子レベルで、いのちはあって、
その原子の生み出す、目に見えないものにも、いのちはある、
という信念かなあと思ってはいますが、
そんなのもちろん後付けであって、原子に失礼なので、
その感情のわけはわからない、とだけ、
いっておきたいと思います。