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Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

「志ある人」も「意識高い人」もやっぱりキツイという現実。

もう尽くされた議論かと思いますが、掘り起こしたい。


どーーーしても「志ある人」と「意識高い人」ということばが嫌い、
というか
「志ある人」と「意識高い人」と言うことばを使うその人が嫌い!



志あるか意識高いかを決めてるのは誰?基準なに?
自分だよね?自分であ、このひとは高い、このひとは低い。ってやる以外に、基準なんてないよね?



そういうなかであのあいまいなワードをさも一定基準がある公用語かのように「意識高い人が好き」「彼は志あるよね」と鮮やかに使うあの人もあの人も、独善的で自分中心にセカイを見ている人にしか見えない。同じ理由で「仕事できる」「頭いい」を良く言う人も嫌い。






高低も有り無しも出来る出来ないも良い悪いも「判断」する権利は私にはない、私には「意見」しかないので。


だから私はいつも「好き嫌い」としか言わないです。