Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

長谷川豊の理論の延長で、日本でもたぶんテロとか起こる。

www.j-cast.com

 

これみて、ああ、長谷川さんこそ、「ありのままのシャルリー」族だなあと思った。

 

joshi.hateblo.jp

 

「議論になるなら、何を言ってもいい。少しくらいの喧嘩の売り飛ばしも上等。」

という理論は、性善説に基づきすぎている。人間はそんなに神さまじゃないし、傷つきやすい。

人だっている。

 

 

「著者の真意をちゃんと読み取れない方が悪い」という態度ほど無責任なものはない。

言葉はさして万人共通、万能ではないし、言葉の繊細さとシニフィエの絶妙な個体差はたぶん彼の想像以上だ。

と、思う人だっている。

 

 

この「人だっている」の、想定の範囲が彼らは狭すぎる。

端的にいえば「多様性」をみくびりすぎている、ということなんだと思うが、

 「誰もがみんな、自分の言うことを正しく理解し読み解き、議論のテーブルに正座してついてくれる」

ほど、いまの世の中は未熟じゃないし、一元的でもない。

成熟して混濁した文化文明にあって、彼の「読み取れない方がおかしい」理論はすごく時代遅れで回顧主義的に見える。もうそんな時代はとうに終わってる。

と思う人だっている。

 

 

絵だって文章だって一緒。

長谷川さんとシャルリーエブドは一緒。

「これは私のことだ」と少しでも感じてしまった人たちにむけて、銃口を向けている、という視点で一緒。

長谷川さんの持論は「ぼくの弾はビービー弾だ」と言っているようなもの。問題は、それが実弾かビービー弾かではない。中身がわからないままの銃口を向けられる恐怖は、「その銃から花がでて安堵の笑顔が咲く手品」でないかぎり、誰も味わうべきではない。

と思う人だっている。

 

 

 

 

 こうなっていくのが嫌だった。

シャルリーエブドの事件からずっと、こうなるのが嫌だった。

長谷川さんみたいな人が増えるときっとそのうち、

日本でもフランスみたいに、本能で反発を抑えきれない人たちが言葉の次の暴力を選ぶ日がくる。

 

 

 

 

 

この波を止めたい。

殺したいといったり死ねといったり嘘の銃を向けたり誰かの信じるものを冒涜することでではなくて、

「私はその考えは嫌いだ。だけどそう思う人がいるのはわかる」

といつも言っていられる、「文明人」でいたい。

マギー四郎さながら銃から花を出し、石川五エ門さながら無益な殺生をせず、歌丸さんさながら「バカだねぇ」といって笑っていたい。

 

 

 

 

 

そう思いながらも、仕事で嫌いな人相手に嫌な想いをした帰り道。

「死ね!」という私の小さなつぶやきが、誰もいない夜の空気にしんと溶け入るのでした。

未熟だな。

 

でも長谷川さん、そんな私もあなたのことは、嫌いだよ。

好きではないだけで、存在してくれてかまわない。殺さないよ。