Particle.

Part of the art of my article sparkles in particle.

「考え」は選びさえすれば一生自分の味方だ。

※これは これは水です の感想です。まだの方はぜひ読んでみてください。

 

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そうか「考えは選ぶことができると目を覚ます」のが学問なんだ、まじ目から鱗(「リベラルアーツ」「アクティブラーニング」「フィロソフィー」てなんやねんなわけわからん。格好つけすぎて本質見失うっていう、勉強してきたくせになんも考えないやつがよくやる格好悪いやつちゃうん。頭良くなりすぎるとこうやって見失いまくるから得てして世の先生とかエラい人とかからは結局全然教わることというか「響く」ことがなくて、こういう素晴らしい文章に出会うのにフツーの人の翻訳とフツーの人の「いいね!」を何とかたぐりよせて結局13年もかかってしまうんちゃうん。)

 

そう、私たちは考えを選べる。選べるのに、デフォルト設定のせいで選ぶことを忘れる。

例えば、「やりたくない仕事はやらない」でいいなんて、当たり前だけどだれも教えてはくれない。でもそういう選択肢があってもいいと私は「考え」たし、その自由がある。「考え」なければ、私は多分、毎日のクソみたいな業務を友達に愚痴って、そのくせミスって無駄に落ち込んで、帰りの電車でうっすら涙して一日を終えるんだろう。でもそうだそれはただのデフォルト設定なだけで、目を覚まして「考え」れば、そーじゃんそもそもそんな仕事やんなきゃよかったんじゃん。だって例えこれ完璧にやったとしたってお金持ちのあの人やあの会社が喜んで終わりで、飢餓や虐待に苦しむ子供や殺処分手前の犬猫の一人一匹も救えやしねーじゃんあー意味ねえ。そして今はインターネットのおかげで、たくさんの人がそういう考えに共感したり疑問に思ったりフィードバックをくれたりする場所がある。そしてそれを見てまた私の考えも変わる。これはもう立派な学問だ。私の小さな脳ミソを世界に駄々漏れさせて、誰かの脳ミソと、合わせミソ作り続ける学問という試みなんだ。そして学問に終わりはなくて、ミソは一生、永遠に合わさって熟成し続けてくんだ。そうしてればこんなクソみたいな生活続けてたっていつかムスカして自分を絶つ日なんて一生訪れないんだ。大丈夫大丈夫大丈夫私。研ぎ澄ませ目を覚ませ考えろ考えろ考えろ私。私私私私ぃぃぃぃ!!

 

 

 

 

…と、いう、「逃げて大丈夫私」という確証を得る盛大なる私の自我あるいはムスカって言いたいだけのために他者のためのこの美しい文章を消費するというなんともとっちらかった矛盾でジエンド。だがそれもまた良しなのである。

わたしがそう「考え」る以上、私は無敵なのだ。